子供の「なぜ?」を受け入れると聞いて、こんなコラボが実現しました―7月14日「あすなろラボ」林修さん授業感想(7)

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

「あすなろラボ」授業の感想シリーズ、その7です。

子供の「なぜ?」を受け入れる

林さんが番組内の授業でお母さんたちにしたアドバイス:

「3才から5才の時期に親が絶対にやってあげなければいけないことは、子供の「なぜか?」を、うまく受け入れる」

と、これに続くくだりを聞いて、僕の頭の中でこんなコラボが実現しましたので、ここに再現します。

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夢のコラボ実現! 林修 & まさかの?!

林「このあいだも(略)親子でこうなんか会話をしてた。なんか、何がダメだったかよくわかんないですよ」

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

林「お母さんなんでダメなの?って聞いたらお母さんの答えがこれでした」

ならぬことはならぬものです

林「あなたのお子さんは、なぜダメかを聞いてると。にもかかわらず、ダメって言ったらダメ。ダメだからダメ。いや、これは言っちゃいけないんです。そうなると子供は、聞くのをやめていくんですよ。自分の世界に閉じこもっていくんですよ」

林「なぜダメかと言われたらその理由についてどうしてダメだと思うって聞けばそれで終わりなんじゃないですか」

林「とにかく子供が自分で考えるように、考えて、言葉を発するように誘導してあげるっていうことが実はすごく大事で」

コラボレーションの相手は、会津藩「什の掟」

林さんの言葉と対比させる形で引用したのは、会津藩「什の掟」です。文言は會津藩校 日新館のページから採りました。同ページによれば、会津藩士の子供はこのような掟を掲げ、町内で「什(じゅう)」と呼ばれる集団を形成していたといいます。

この掟はいろいろなところで取り上げられ、Eテレの「にほんごであそぼ」でも目にしたことがあって僕も知るところとなっているのですが、林さんも指摘するように、子供の「なぜ?」を封じるという重大な問題をはらんでいるわけです。

会津藩の末路は、林修さんの言うとおり

藩士の子供にこのような教育をしていた会津藩の末路がどういうものだったか。結論を言うと、負けるんです。

林さんが言うとおり、「自分の世界」である若松城に閉じこもっていくんですよ。そこから先は、ちょうど、次の回の大河ドラマ「八重の桜」(7月21日放送・第29回)でやるみたいです。

ここでもまた、林さんが言っていた敗因3か条の「情報不足」「慢心」「思い込み」(6/9 あすなろラボ)が、きっと観察できることでしょう。

新版・会津藩「什の掟」

というわけで、どこかでまた会津藩の悲劇をくり返さないために、「什の掟」の問題点を改めてもう1度いきましょう。

  • 年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
  • 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
  • 嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
  • 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  • 弱い者をいぢめてはなりませぬ
  • 戸外で物を食べてはなりませぬ
  • 戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです なんでだと思う?

まとめ:問いをやめるな。やめさせるな

たしかに、子供の問いの中には、不道徳で、不埒で、不純なものもあります。「なぜ人を殺してはいけないのか?」が代表的ですね。

それでも問うのはいいことで、問うことをやめさせてはいけないと、僕は思います。

親にであれ、他人にであれ、あるいは自分にであれ、問うことそのものは非常に健全な行為です。問う内容に関係ありません。たとえその内容がどれだけ不健全であっても、それを問うことの健全さが打ち消されることはないと、僕は考えています。

ただまあひとつ言えるのは、やめないで問い続けていると、僕みたいな人間になるリスクもあるということですわ。

ご静聴ありがとうございました。

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