「フォロー外から失礼します」という危険思想について

こんにちは。

「最近の若い者は礼儀を知らない」というのは老人の常套句ですが、その路線で進めます。

ここでは、通常使われるのとは逆で、要らないところに礼儀を作っているという意味です。

要約:Executive Summary

「フォロー外から失礼します」は危険な思想です。

差別主義だからです。

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※写真と本文は関係ありません

「フォロー外から失礼します」を考える

「フォロー外から失礼します」を礼儀正しいと思っている層があることを知りました。

上のものは論評的なトーンですが、付けるのが礼儀だと詰るような文面のツイートもいくつかありました。

反対に、そんな前置きはいらないという主張も多く見られます。代表的なものを2つ挙げておきます。

(前略)最近その流れで「フォロー外からのリプライはクソ」と言う話まであがっていて、でもそれはなんか違和感がある。

クソリプと切なさとTwitterルールと|あざなえるなわのごとし(2014/09/25付)

年齢層の大ざっぱな傾向

大まかな傾向として、礼儀と思っている人の年齢層は低め、要らないまたはクソだと思っている人は高めのようです。

私も高年齢層に属しているからでしょう、「フォロー外から失礼します」が要らぬ礼儀に感じます。あるリプライが失礼だったりクソだったりする理由は、「フォロー外だから」ではないはずですから。

若いのに、ずいぶんと不自由なことでと思ってしまいます。

「フォロー外から失礼します」の危険性

既に「要らない」側からは論点と論も出そろっている気もしますが、私はそこから一歩進めて、「フォロー外から失礼します」が危険な思想であることを説明します。

なぜ危険かというと「フォロー外から失礼します」といちいちことわる発想にとっては、「フォロー」が価値になってしまっているからです。よって「フォロー外」の価値が相対的に低くなるため、フォロー外へのリプライに一段ハードルを感じている。その結果「外から失礼します」なる“礼儀”を生じせしめています。

裏を返せば、「フォロー外から失礼します」を礼儀とする人は、「私は、私をフォローしているかいないかであなたの取り扱いを変える人です」「フォロー外なら別の扱いをされて当然」、そう宣言しているのに等しいです。

差別主義者の考え方です。

危険です。

さかのぼり「フォロー外」史

ところで、「フォロー外から失礼します」はいつから現れたのでしょうか?

古い用例を求めてみました。見つけられたうち最も古かったのは、2009年1月30日付のこちらです。

クソかどうかは各自で判断願います。

「フォロー外から」成立事情を推測する

さらにさかのぼると、関連してこういったツイートがありました。

かつて、フォロー外に関して現行のTwitterと仕様が違っており、この時期に変更されたらしいことが示唆されます。

遅れてやって来た老人ゆえ事情がよくつかめませんが、かつてはTwitter自体がフォロー外を差別していたようにも取れる情報です。

(2016/03/18追記)誤読では?との指摘をいただきました。

事実関係がますますわからなくなってきました。公開当初から怪しい理解でいたのが、自分の混乱に拍車がかかってきている感じ。ではあるもののさして問題でないので、当面のあいだ手をつけないでおきます。

フォローは価値なのか?

さて、かつてはともかくとして、いま現在、どこかのアカウントを「フォローしている・いない」というのは、ひとつの事実である以上の何ものでもありません。

くり返しますが、あるリプライが失礼だったりクソだったりする理由は、決して「フォロー外だから」ではないはずです。ほかに理由があるはずです。

私の場合を言えば、クソ扱いされるのは本意でないので、相手をフォローしていようがいまいが、どこに対してであれリプライに出る前には相応に考えています。それでも何度かに1度は、あちゃあクソリプだったかなと悔いてしまいますが。

まとめ

楽観的にとらえれば、「フォロー外から失礼します」が礼儀というのは、「顔見知り」と「相互フォロー関係」がほとんど重複していてごっちゃになった結果の若い人ゆえの勘違いであるようにも見えます。

そうした「若気の至り」に属する誤りであればいいのですが、わずかに「自由主義なんてもう古い。これからは全体主義だ」と若い方々が息巻いていた昭和13-4年頃の空気に似たものも感じられます。大正デモクラシーと昭和モダンの空気を吸って青春時代を過ごした身からすると、またそっちへ行く気かしらんと非常に危ういものを感じます。

なので、半ば取り越し苦労に思いつつも、潰しにかかることにしました。年寄りの繰り言にお付き合いいただきありがとうございます。

参考資料

どうやら人は、自由よりも不自由の方が心地よいこともままあるようです。時に礼儀もそのツールとなります。

最後に、「人は自由が恐い」を考えるための諸文献を紹介します。

こちらからは以上です。

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