明治の「観光」いろいろ【用例調査レポート】

こんにちは。「観光」という言葉を調べています。

この記事では明治期の「観光」用例をレポートします。

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この記事に書くこと

ネットのアーカイブから、明治期の「観光」の用例を収集しました。

Wikipedia「観光」には、こう書いてあります。※下線は引用者

語源は『易経』の、「観国之光,利用賓于王(国の光を観る。用て王に賓たるに利し)」との一節による。大正年間に、「tourism」の訳語として用いられるようになった

熟語としては古くからあったものの、現在のような使い方は大正期に定着したというお話です。

ではその前の時代の「観光」は、どんな感じだったのだろうか? そう思って、探してみました。

頼るのは、例によって国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」です。

結論

明治20年代までの「観光」は、3割ほど今とは違う使い方も見られますが、明治30年代には、用法としてほぼ定着を見せています。

明治の「観光」 I. 19世紀

明治33(1900年)までに区切り、固有名詞を除いた用例を数えると、比率はざっくり

  • あまり変わらない「観光」 70%
  • 少し違う「観光」 30%

でした。

以下に、それぞれの用例をピックアップします。

あまり変わらない(と思える)「観光」

作文便覧(明治10)

近代デジタルライブラリーを「観光」で検索してヒットしたうち、最も年代の古い資料です。

手紙の文例集です。この頃はまだ言文一致運動前夜だからかして、文章はすべて漢文調です。

この中に、「約農人観光於上國(のうじんじょうこくにかんこうするをやくす)」として「観光」が出てきます。

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「観光於上國」に「ミヤコケンブツユクヲイサナフ」と注釈が付いています。

「都見物行くを誘う」ということですから、ほぼ今の「観光」の意味です。たぶん。

崩し字がほとんど読めません。おのれの無学がうらめしいです。

作文便覧(1877)

通俗観光余事(明治12)

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著者は「埼玉県令白根多助」となっています。「県令」というのは、当時の県のトップの役職名です。今なら「知事」ですね。

日光へ向かう米国のグラント前大統領を白根が埼玉の宿で迎え、対話した際の記録です。

グラントの話に感銘を受けた白根が、今風に言えば「前大統領の言葉がマジ刺さったからシェアするよ」というノリで出した本に見えます。

本書での「観光」は、「グラントの世界視察旅行」を指しているようにも読めますが、いまいち解釈しあぐねています。

通俗観光余事(1879)

観光游草(明治21)

中国への旅行記です。

観光游草(1888)

単騎遠征録(明治27)

シベリア横断記です。かつての「電波少年的○○」みたいな感じ?

イルクーツクに滞在したくだりの見出し「駐馬観光」に「うまをとゞめてひかりをみる」とふりがなが付いています。

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この段にはあれこれ街の様子が書かれており、今の「観光」に近い使い方に見えます。

単騎遠征録(1894)

大阪新繁昌記(明治29)

「中之島公園の観光」という項のタイトルで出てきます。公園の風景が描かれており、ほぼ、今の「観光」の意味に思えます。

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ちなみに、活字では「光」となっていますが、誰が書いたか、その脇に「観」と手書きされています。デジタル化作業でも「観光」が採用されています

大阪新繁昌記(1896)

英国今日之社会(明治30)

英国事情の紹介本です。

「龍動市中の観光」として出てきます。街の様子を伝える記述となっており、ほぼ、今の観光に通じる使い方です。

「ロンドン」にはこういう漢字表記もあるのですね。

英国今日之社会(1897)

涙痕録(明治32)

息子の書いた父の伝記のようです。

「欧米の観光及朝鮮行」として出てきます。これも概ね現代と共通する意味です。

涙痕録(1899)

少し違う「観光」

今日の「観光」とはあまり似ていない用例です。

石立擲碁国技観光(明治25)

囲碁の解説本でした。棋譜で図解されているのが「観光」の所以なのでしょうか。

石立擲碁国技観光 巻1(1892)

観光図説(明治26)

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軍人用のハンドブック的な本に見えます。軍旗や徽章が図で載っています。

「観光」的要素ゼロです。類語を探すなら、「観閲」が近い意味かなという気がします。

観光図説(1893)

明治の「観光」 II. 20世紀

20世紀に入ると、ほぼ現在の意味と違わない「観光」ばかりとなります。

検索結果の画像だけ載せておきます。

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まとめ

Wikipedia「観光」では、「観光」の語法は大正期に確立されたような書きぶりでした。

これは、明治も末の45(1912)年に、JTBのルーツである「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が創立された事実も加味しているのかもしれません。

参考:JTB 100年の歩み

けれども近代デジタルライブラリーの検索結果から判断すれば、「観光」の定着はもう少し早い時期、明治30年代あたりと見ていいように思います。

こちらからは以上です。

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