一般人が使う「本来」は、あまり本来ではない。というお話

こんにちは。

雑すぎる説を雑なまままとめます。

この記事で言いたいこと

一般人が使う「本来」は、あまり本来ではありません。

解説

一般の人が「本来」というとき、そのほとんどは

  • 空間的には、その人の生活圏内で
  • 時間的には、せいぜい祖父母世代までの過去から

伝えられ得られた何か

という意味です。

それを一般人は「本来」と言っているにすぎません。

「ほっこり」という言葉を調査して副産物的に得られた発見です。

一般人の本来=「30+30」説

一般人の使い方に見られるような、せいぜい限られた空間的・時間的広がりでしか通用するにすぎないような「本来」を、その有効であろう範囲から、

  • 一般人的本来=「30+30」説

と名づけてみました。

すなわちこういう趣旨です。

    一般人が使う「本来」の有効範囲

  • 空間的生活圏:生活地の30km圏内+大きくてもせいぜい半径30km圏の範囲
  • 時間的生活圏:現在からさかのぼって、せいぜい親世代+祖父母世代までの過去「30年+30年」の範囲

「本来」的“刷り込み”理論

一般人もその意味では、生まれて最初に見た自分より大きな動く物体を自分の親と思い込む、鳥の雛と変わりません。

鈴木明子選手で説明する「本来」

「鈴木明子選手のスピン」を例にして説明します。

2015年4月の現時点で既に鈴木さんは現役を引退されていますが、ここでは「選手」としておきます。

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※Akiko Suzuki from en.wikipedia.org

関連する各レベルの言明を「本来」と称してみて、それが妥当であるかを検討していきます。

本来、「鈴木明子選手のスピンは左回り」

修飾語法として適切かという点で議論の余地はあるものの、これは「本来」です。映像資料にアクセスできれば簡単に確認できます。

本来、「フィギュアスケート選手のスピンは左回り」

これを「本来」とするには、抵抗があります。

左回りである選手が多数派ですが、右回りの選手も実在するからです。

たとえば、イタリアのカロリーナ・コストナー選手、アメリカのアシュリー・ワグナー選手などです。

単なる多数派を「本来」と称することには慎重であるべきでしょう。

本来、「人が回るのは左回り」

完全に誤りです。

たとえばバレエや社交ダンスでは、右回りが一般だからです。

私の「本来」

私自身は、オリジン(起源)が明確なものに対してしか「本来」を使いたくありません。ですから私にとって「本来」が使えるのは、最初の鈴木明子選手のケースだけです。

余談:細かすぎて伝わらない違和感

「第21回 細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」(2015/04/02 OA)を見たときの話です。

鈴木明子選手の「本来」が左回りであるのに、社交ダンス流に右回りにターンしていたキンタロー。さんのモノマネに対し、すっごく違和感を覚えたのでした。

違うじゃんって。

細かすぎて伝わらない自覚はありますです。

余談でした。

それは「本来」なのか?

ところが、

  • 鈴木明子選手のスピンが左回り

であることをもって、

  • 「フィギュア選手のスピンは左回り」

とか、あまつさえ

  • 「人の回転は左回り」

が「本来」だと称するような言明が、あまりに多いのです。

私が「ほっこり」について調査した際に出てきた「本来」は、そんなのばっかりでした。

いかんです。

それでもそれが「本来」

では、そのような、限定された時空間内でしか効力がなさそうな「本来」は、「本来」の本来ではない、誤った使い方なのでしょうか。

そう結論づけるのは早計です。それが「本来」の使い方として間違っているかというと、そうは言えません。

それが妥当か否かにかかわらず、「本来」と発するその人にとっては、それこそがまぎれもなく「本来」だからです。

「刷り込み理論」に寄せて述べると、それが本当の親鳥であるにしろないにしろ、その雛にとっては、目の前にいる大きな動く物体こそが、まぎれもなく「親鳥」なのです。

私がそうあることはイヤですが、それを「本来」という雛鳥のような人と、彼ら彼女らが見ている世界は、守ってあげたいと思います。

まとめ:「雛鳥」から「火の鳥」へ

一般に人は、「30+30」の時空間のなかで得たなにがしかを「本来」と言うことを発見しました。

しかし私自身は、最初に見知ったものを「本来」と言うのではなく、できる限り時間的空間的に視野を広げたうえで、何が「本来」かを見きわめたいです。

生まれて最初に見た大きい物体を親と思い込む雛鳥ではなく、ちょうど、手塚治虫の描いた「火の鳥」のように、人の世のあらゆる営みを見届け続けてはじめて、何か発信する存在でありたい。そう思います。

こちらからは以上です。

「本来」調査したかった「ほっこり」については、また別の記事で。

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