人に完璧を求めない

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

言いたいこと

人に完璧を求めるのはやめよう。特に、「先生」と呼ばれる人に対して。

2013-06-16_a0790_000983

林さんのブログを読んで

林さんのブログ「いつやるか? 今でしょう」と始めた林 修の日々雑感をすべて読んだ粗い感想です。本日時点で528件の記事があります。

2011年9月の開設当初の記事から読み始めたのですが、

読みにくい!

自分も「林修ナイト」特集しようと決めてなかったら読みません。もっと面白いブログいっぱいあります。

「雑感」とうたっていますし、1つの記事にいろんな話題が含まれるのはまだいいとして、その中でも記述があちこちへゆらゆら彷徨する印象で、論旨を追いかけていくのがしんどかったです。

読みやすいと試験にならない大学入試の現代文の問題に、毒されてしまったのでしょうか。あるいは、予備校では授業など話すことがメインで、書くスキルがさほどシビアに求められてこなかったからかなー。現代文の講師なのに…と思ってしまいました。

Nobody is perfect.

しかし、そんな枠組みで見るのは間違っていることに気がつきました。

「現代文の講師なら文章も上手だろう」というのはこちらの勝手な思い込みです。勝手にイメージを規定して、そこからずれると批判する。それがおかしいのです。

特に「先生」と呼ばれる人に対して、われわれはあたかも彼(女)が非の打ち所のない人格者であるかのように想定しがちです。しかし実際は

  • 教師なんて社会常識ないし、変態性欲者いっぱいだし
  • 医者は医者で、医局の中やらつまんない学会やら団体やらでずっと派閥つくっていがみあってるし、
  • 弁護士など他人のもめ事に無責任に首突っ込んで小金稼ぐことしか考えてないし、
  • ましてや議員なんて、恥の概念が欠落した人が、なれの果てで務める仕事だし。

厭になります。でも致し方ありません。

そうでない立派な人も多くいますが、「先生」と呼ばれる人に限らず、完璧な人はいない以上、われわれは他人のいびつさを許容しなければいけません。そういうもんです。

能力・人格の発達が不均等でも、必要なだけの職責を果たしていれば問題ではありません。能力や人格のいびつさ加減が、法令に違反したり、著しく職務遂行の妨げになったりするのでない限り、許さないといけないのです。いびつであることをもってして糾弾するのは、誤りだと言えましょう。

印象論を超えて

ところで林さんのブログですが、直近の記事になるほど、当初の読みにくい印象は薄れてきました。修正能力の高い方ですから、あながち、読み手の自分が慣れてきたせいだけでもないと思います。

印象論しか述べていないので、この辺を定量的に語れるようにテキストマイニングの手法を学び、研究を進めたいです。

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