「ほうれんそう」を風呂場で閃いたという山種証券社長のエピソードは、たぶん後づけ―シリーズ報連相(2)

こんにちは。

報告・連絡・相談の頭文字を取った「ほうれんそう(報・連・相)」という言葉があります。その報連相について、何回かのシリーズに分けてお送りしています。

シリーズ2回目にして、細かすぎる話に突入です。

前回のあらすじ

前の記事「ほうれんそう(報・連・相)の「原典」にあたってみた―「報連相」をたずねて(1) 」(2014/04/06)で、大体次のような2点に触れました。

まず、総合すれば、こちらの説を支持してよさそうなことがひとつです。

  • 1982年、山種証券の「ほうれんそう運動」が始まり
  • 発案者・言い出しっぺは、当時同社社長だった山崎富治さん

ほうれんそうだけに、山「種」が「草分け」と。

また、「原典」としてこちらの書籍を紹介し、その記述から「報連相」本来の意味を探りました。

同書は1989年に増補改訂版が出ていますが、入手したのは1986年版です。記事での引用はこちらの版からです。

この記事で言いたいこと

「ほうれんそう」は、提唱者の山崎富治さんがお風呂に入っているときに閃いたという話になっています。著書の『ほうれんそうが会社を強くする』にそう書かれているためです。

しかしこのエピソード、「捏造」とまでは言いませんが、山崎さんが後づけでそれらしく仕立てたストーリーであるように思います。あるいは「後付けでそうせざるを得なかった」と言えるかもしれません。

というのも、山種証券の社史に収められていた新聞記事には、違うことが書いてあったからです。

「ほうれんそう」をお風呂でひらめく話

ほうれんそうが会社を強くする』の「私は風呂場で〝ほうれんそう〟の種を拾った」では、「ほうれんそう」誕生秘話が、ざっとこんな筋書きになっています。強調は原文傍点です。

 数年まえの節分の晩も、わが家の風呂につかりながら、仕事のこと、社員のこと、家庭のことなどあれこれと考えをめぐらせていた。そのとき、なぜだかわからないが、一つの言葉が私の頭をよぎったのである。
「ホウレンソウ!」
 ポパイの大好きなホウレン草と、告・絡・談の〝ほうれんそう〟が同時に私の頭の中に浮かび上がったのだ。(pp.14-15)

お風呂につかっていてひらめいた、という話になっています。

ネットでもみんなこれ

ネット上では他説がないこともあって、「ほうれんそう」の事情通を気取って軽く優越感を味わいたいため(←決めつけすぎ)、しばしば一緒に語られるエピソードになっている様子です。

山種証券の社史を見てきた

「草分け」の会社なら、社史に「ほうれんそう」のことも何か書いてあるだろうか。そう思って所在を探してみると、山種証券の創業50周年(1983)を記念して編纂された社史『山種証券五十史話』が、神戸大学経済経営研究所附属の企業資料総合センターにあると知りましたので、見てきました。

出典マニアによる「小さな旅」日記も書きました。

『山種証券五十史話』(1984)

社史はこちらです(写真いちばん左)。

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ちなみに残りは、歴年の有価証券報告書が綴じられたファイルです。

なんと。社長名入りの謹呈本でした。

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めくると、福田赳夫が巻頭言を寄せていました。

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福田赳夫(1905-1995) ※画像は、ja.wikipedia.orgより

監督官庁の大蔵省出身で、その大臣も務めた福田ですから、創業者で山崎さんの父でもある山崎種二社長の代から交流があったのでしょうね。

「五十年史」ではなくて「五十史話」

さて、書名が「五十年史」ではなくて「五十史話」となっているとおり、同社の社史は50年間から拾った50のお話を集めた読みものになっています。これも山崎富治社長の提案がきっかけです。

試行錯誤のなかで、私は「(略)肩ひじ張らずに、楽しい五十の史話を集めてみたらどうか」と提案した。これが委員全員の賛同を得て、「みんなで分担して五十の史話を作ろう」と決まった。

(「五十史話刊行にあたって」より)

これは賢いやり方だなと思いました。

社史では違った

予想どおり「ほうれんそう」は『山種証券五十史話』にもありました。《第四十五話「ホウレンソウ」の話》として一話分費やされています。

そこに「ホウレン草の日スタート」を報じる、毎日新聞の記事の切り抜きが掲載されていました。ところがこの記事で、山崎社長は「ほうれんそう」誕生のきっかけを

雨の日曜日に自宅でぼんやりしていて思いついた

「3月1日ホウレン草の日に」(毎日新聞 1982/02/26付)より

と、述べられています。

話が違います。

曜日も合っていない

曜日も合っていません。

風呂につかっていたのは「節分の晩」と述べられていますが、その日付が2月3日だとして、「ホウレンソウ運動」が始まった1982年の節分は水曜日、前年でも火曜日です。「ぼんやりしていて」の「日曜日」と違います。

参考:1982(昭和57)年|10000年カレンダー

推論:たぶんこっちが真実

ここからは推測です。見てきたような嘘かもしれません。

恐らくですが、事実として正確な「思いついた瞬間」は、「自宅でぼんやりしていて」なのでしょう。有力な理由は、新聞報道が「ほうれんそう運動」が始まる3月1日よりも前だからです。断言するには当時の各紙紙面を調査しないといけませんが、取り上げてくれたらラッキーぐらいのトーンでの発表だったのではないかと推察しています。

要は、山崎さんのこの時点での恐らく最大の関心事は「ほうれんそう運動」が狙いどおり定着することであって、それにまつわる「思いついた瞬間」にまで格好を付けている必要がなかったわけです。

ところがこの「ほうれんそう運動」、始まると予想を超える反響を呼びます(別途記事にする予定です)。そうなると、今度はいろんな人から「ほうれんそう」にまつわるあれこれを聞かれます。当然、そのなかに発案のきっかけだとかも入ってくるわけです。

ですが「自宅でぼんやりしていて」では、誕生エピソードとしてあまりに面白くない。山崎さんもそう思ったに違いありません。それで「お風呂でひらめいた」って話にしていったんじゃないでしょうか。

その方がアルキメデスっぽくて格好もつくし、聞く側もわかりやすくて受け入れやすいしで、四方丸く収まります。

経営者とは、それこそ四六時中会社のことを考えている生き物です。当然、山崎さんにもお風呂で湯船につかりながら会社のあれやこれやに思いを馳せる習慣があり、当然、着想を得た「ほうれんそう」についても、そこで考えを詰めていったことでしょう。よって、まるっきりの嘘でもありません。で、そういうことにしたと。

千原ジュニアさんの類似エピソード:初めて買ったレコード

そう思うのも、千原ジュニアさんの似たような話を聞いたことがあるからです。

ジュニアさんの初めて買ったレコードは、スターリンの「虫」(1983)だそうです。しかし、一度ありのままを答えてシーンとなってしまって以来、国生さゆりさんの「バレンタイン・キッス」(1986)と答えるようにしているのだとか。

虫(紙)バレンタイン・キッス [EPレコード 7inch]

本当は違うんですけど、国生さんが好きだったのは嘘ではないし、みたいに話されていました。(2014/03/28 僕らの音楽

テレビ雑誌の連載コラムを書籍化した『千原Bros』(2013)で明かされている話だそうです。ソースはこちらの記事です。

二次情報ですんません。

まとめ

時に世間は、つまらない真実よりも、わかりやすく受け入れやすい虚構を求めるようです。

なので、仮に「風呂場で〝ほうれんそう〟の種を拾った」というのが後付けの粉飾エピソードであったとしても、それをどうこう責めるつもりはありません。

他人を簡単に信用しないのは正直しんどいですが、それ以上のことを少なからず得られるので、面白いです。

こちらからは以上です。

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