被害予防より、もっと加害予防を

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誰が悪いのかといえば、私が悪いに決まっています。
解+』(加藤智大, 2013)

この記事で言いたいこと

世の中「加害予防」がないがしろにされすぎている現状に気づかされました。これはいかんです。

非力ではありますが、これからは、自分ができる分野で積極的に「加害予防」に関与していくことにします。

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※写真と本文は関係ありません。

きっかけ

タイムラインでこんなツイートが目に留まりました。

言われてみれば、確かにそんな気がします。

現状の著しいアンバランス

この種の記事を、僕はまったくの無意味だとは言いません(読んでませんけど)。

しかしツイートで指摘されているように、こういう類の「被害予防」を指南する情報に比べれば、「加害予防」の観点からの情報はまれです。著しくアンバランスです。

この現状は、なにも性犯罪まわりに限った話でないようにも思います。

なぜ、こんなことになっているのでしょうか。

考察:世の中なぜ「被害予防」ばかりなのか?

このような現状を生じせしめている要因を考えてみました。挙げる基準は思いつきです。

予防を「語る側」「語られる側」の大きく2つに分けると、次の各点に集約できそうです。

  • 語る側の「ハードルの高さ」の違い
  • 語られる側の「潜在マーケット規模」の違い

以下、補足説明します。

要因分析(1):語る側の「ハードルの高さ」の違い

「被害予防」に比べて、「加害予防」ははるかに語りにくいです。次のような要因があるためです。

  • 「被害予防」なら、被害経験のない者でも語れます。「被害を経験していない」という事実から、予防が成功していると主張することもできるからです(それが正しいかはわかりません)。
  • 一方、「加害予防」ではそうはいきません。未経験者などの「外野」が簡単に語れるものでないからです。そこを被害予防と同じ感覚でほいほいと語れる者がいたら、だいたいがアホです。
  • 「経験なし=語る資格なし」とするのは短絡です。しかしそれでも、外野が語ろうとするならなおさら、対象の加害に対し相当に考え抜くことが求められます。
  • さらに、地震や台風などの天災(自然災害)の場合、そもそも「加害予防」を語れる者が存在しません。

「予防」というものの性質からも非対称性が生まれます。

  • 当たり前の話ですが、「予防」とは「起こるかもしれない物事を{起こらない|起こさない}ようにする」という発想に基づきます。
  • 「予防」によって何を避けているのかを一段上のレベルで言えば、「不幸の発生」です。
  • 被害はおしなべて不幸です。不幸でない被害もまた、いったんは不幸の段階を経ているように思われます。
    よって、不幸の発生を回避するという目的のもと「被害予防」は語りやすいと言えます。
  • 一方、加害が不幸とは限りません。加害者にとって快感、ひいては幸福感をもたらしているケースもあるからです。それらを無視して加害による不幸のみを語るのは、語るにあたっての真摯な姿勢とは言えません。

要因分析(2):語られる側の「潜在マーケット規模」の違い

同じ予防でも、マーケットの規模を比べると「被害予防」よりも「加害予防」の方が圧倒的に小さいです。たとえて言うと、「自動車市場」と「自転車市場」ぐらいのマーケット規模の差があるように思われます。

その要因としては、次の各点が考えられます。

  • 一般に、世の中の人は「加害予防」に耳を傾ける準備ができていません。
  • 「被害予防」は、まだ「他人事でない」と想像力を働かせて、自分事として受け取りやすいです。
  • その半面、「加害予防」を同じように自分事として受け取ることは簡単ではありません。多かれ少なかれ、その作業には内面の苦痛を伴うからです。
  • 言い換えると、未経験でも「被害」は想像しやすいですが、「加害」はそうではありません。
  • そのため「被害予防」「加害予防」の両面で語っているものに対しても、語られる側が「被害予防」の一面でしかとらえていない可能性があります。

聞きかじりのプロスペクト理論に沿って言えば、「損失回避」を志向する人間の習性も関与しているように思えます。

書籍で例証してみる

そこで語られているのは「被害予防」か「加害予防」か? という観点で、自分の書棚を見直してみました。

やはり、「加害予防」の本は大変少ないです。

その姿勢を明確に打ち出しているのは、『解+』(2013)ぐらいです。この本については以前にこちらで記事にしました。
早くも発表:2013年に読んだ本第1位は、加藤智大さん『解+』です(2013/07/18)

あと未読ですが、気になっている本として『反省させると犯罪者になります』(2013)だとか。そんなところです。

犯罪から離れると、なお少なく感じます。『バカを治す』(2012)がそう言えるかなという程度です。

なお書籍に関する詳細情報は、当記事の末尾にまとめて記載します。

「被害予防」だけを読んでいる可能性

予防を題材にした世の書籍に「加害予防」の観点が皆無かというと、決してそんなことはないと思います。

サージカルマスクを着用するのにだって、被害予防と加害予防の両側面があるわけです。

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そう考え直してみれば、名著のほまれ高い『失敗の本質』(1984, 1991)にしても、「被害予防」「加害予防」の両面で読めるはずです。しかし、「加害予防」的側面からの読み方はされてきていないように思います。何より自分自身がそうであることに気づかされました。

工学面から例を取ると、『失敗百選』(2005)、あるいは『人月の神話』(1975, 1995(原著))、『デザインパターン』(1995, 1999)、『アンチパターン』(1999, 2002)。これらのいずれも「被害予防」「加害予防」の両側面を備えていると言えましょう。

工学分野で考えるならば、被害と加害は表裏一対のものです。もう少し事態を正確に述べると、被害と加害を表裏一対にしてとらえることが、工学的発想であるはずです。

まとめ

「被害」と「加害」は、構造的に非対称性を生みやすくなっていることが確認できました。どうやら多方面で、データベースのレコード分析で言うところの「n対1」の関係になっているようです。

となれば、積極的に「加害予防」に関わっていくことが、よりよい社会を作るための行動指針となり得ます。自分が具体的に何ができるか、そこを引きつづき考えていきます。

何より「被害予防」と「加害予防」という新たな視点の軸を得られたことが、本稿での考察における最大の成果でした。

こちらからは以上です。

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