父親が子育てで果たすべき最大の責任とは「才能の目利き」

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こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

この記事で言いたいこと

父親が子育てで果たすべき責任とは、子供の「才能の目利き」です。「最大の責任」と言っても過言でないでしょう。

「目利き」には、物心両面でのバックアップ・サポートも含みます。

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時を隔てて次の3つのケースを見聞きして、そう確信するようになりました。

  1. イチロー選手と父・鈴木宣之さん
  2. 横峯さくら選手と父・良郎さん
  3. 楠木早紀さんと父・信さん

順に詳しく述べていきます。

1.イチロー選手と父・鈴木宣之さん

オリックス・ブルーウェーブのイチロー(鈴木一朗)選手が頭角を現したころ、彼を見いだした仰木彬監督と同じぐらいに、父・宣之さんの存在がクローズアップされました。いわく、毎日バッティングセンターに通い、子供の頃から速い球を打たせていた、といった話です。

イチロー版・大リーガー養成ギプス「空港バッティングセンター・8番ボックス」

それなりの出典を示しながら書こうと思って探すと、野球にさほど詳しくない僕でも知る話なだけあって、該当のセンターはすぐ見つかりました。

愛知県西春日井郡にある「空港バッティングセンター」です。Webサイトには「若き日のイチロー、稲葉が通った本格派バッティングセンター」の文字があります。

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※画像は、空港バッティングセンター > 施設案内

上のページには「イチロー選手がいつも練習していた8番のボックス」の写真もあります。左右両打席で打てるからみたいです。

イチロー選手の卓越したバッティング技術とセンスの基礎は、このバッティングセンター通いの時期に作られたと言ってよいでしょう。

バッティングセンター職員の証言

イチローと稲葉が小、中学生時代に通い詰めたという空港バッティングセンター職員で、少年時代のイチローをよく知る石井一三(かずぞう)さん(65)に聞いた。

とする記事がありました(ZAKZAK 2009/02/21付)。 ※下線は引用者

イチローさんは小学3年のころからお父さん(チチローこと宣之さん)と一緒に毎日、1日も欠かさず来るものだからびっくりしました。一晩のうちに、1度帰ってからもう1度来たことまでありました。

愛工大名電の寮に入ったイチローさんはほとんど来なくなりました。

だそうです

幼少時のエピソード

ほかに、鈴木宣之さんがイチロー選手の幼少時のエピソードを話されているページがありました。子供応援便りWEB版・「教育を語る」Vol.1 2006年夏号より。

3歳の時に、はじめておもちゃのバットとボールを持たせたら、その日から寝る時も離さなくなったほど、野球好きな子どもでした。
 小学3年生で地元のスポーツ少年団に入りましたが、当時は日曜日しか練習がありませんでした。すると一朗が、「平日はお父さんと野球する」と言い出して。毎日、学校から帰って来てから暗くなるまでキャッチボールをしたものです。

 子どもが夢を見つける最初のきっかけは、親が与えるものだと思っています。もし一朗がサッカーをやりたいと言っていたら、私も一緒にボールを蹴っていたでしょう。

いい言葉だと思います。

2.横峯さくら選手と父・良郎さん

この話は、水道橋博士さんの「博士の悪童日記」2006年2月12日分から知りました。

テレビ番組「R30」で見た横峯良郎さんのエピソードに「感銘受ける」として、こう内容を紹介されています。2006年2月中旬分から、長めに引用します。

子供の才能を探して、
スポーツをやらせたら、たまたまゴルフに夢中になった。

やるなら、プロを目指せと、
子供の頃から、「賞金額などを見せ付けて……」
プロ意識を植え付けた。
掃除、洗濯、自炊、全てを子供の時から叩き込んだ。

義務教育は、一日多く休ませて、ゴルフの練習に当てた。
ゴルフ場の料金が安い月曜日を休みにした。

田舎で女の子がゴルフなんかやっていたら、
いじめられるに決まっている。
当然、学校でいじめの対象になった。
いじめが発覚すると、パパ自ら学校に乗り込み、
授業の途中に乱入し、
いじめっ子3人を名指しし、
「もし、さくらをいじめるなら、俺がおまえらを
 待ち伏せしていじめるから、そのつもりでいろ!」
と宣言する。

毎回の、レッスン料、ゴルフ場代がもったいないと、
家計を心配した娘たちに、
それならと、1500万円を借金して!!
自宅裏の山を買い取り、自分で開墾し、
芝生を張って、ゴルフ練習場に変えてしまう。

コーチの素人だから、
独自の練習法を考えては娘に試す。
これが、一つ一つユニークで、
馬鹿馬鹿しくも感動的だ。
今も、さくらのスイングはゴルフのセオリーから言えば、
邪道だそうだ。 それでも勝てば、正当化するのだ。

こちらで放送されていたようです。横峯良郎さんが、この放送でゲスト出演されたもようです。

水道橋さんはこう述べられています。再び「悪童日記」より。

亀田3兄弟の父もそうだが、
ここには、世間の常識に捕らわれない、
狂っている父がいる。

インテリは頭でわかって鼻で笑うが、
実際、これをやるのは猛烈なエネルギーだ。

そのとおりです。

「狂っている父」、いい言葉です。

3.楠木早紀さんと父・信さん

楠木さんは競技かるたクイーンです。2014年の大会で、10連覇を果たされました。現在大学院生で、この春に教員になるそうです。(2014/01/12 サンデースポーツ)

テレビで楠木さんのすごさを知って、こちらの本を読みました。

読んで印象に残ったことのひとつは、父親の果たしている役割が、横峯さくら選手のケースとよく似ていたことでした。共通点となるポイントを引用します。

父と二人三脚

 私は小学校三年生のとき競技かるたを始め、父と二人三脚で練習を重ねながら、十五歳(中学三年生)で史上最年少のクイーンとなりました。(まえがき)

才能を見いだす

小学3年の3月、早紀さんが学年別大会で日本一になって。以下、引用は「父と二人三脚の練習」の段からです。

 その頃から、俄然、父の「かるた熱」に火がついたのです。
「今だから言える話だけど、初優勝したときから、早紀にはかるたの才能があるとお父さんは思っていた。飲み込みが早いし、試合での取りも他の子に比べて断然速い。負けん気の強さもある。素人の目で見ても、この子はクイーンになれるんじゃないかと思った」

しかし、父は素人

B級になった頃から、周りに練習相手がいなくなってしまったこともあり、教室には行かず、父が自宅で練習を見るようになりました。
 といっても、父は普通のサラリーマン。競技かるたの経験はまったくないので、ただ歌を詠むだけです。

「一緒に練習」が日課

夕食のあと六畳の和室に入り、父が読手役になって私が五十枚の札を一人で取るという練習を、必ず一試合するのが日課になりました。

素人ゆえの強さ

敵陣も自陣も同じ速さで取らないと、父から怒られる。普通なら、「自陣を取らなくても、とにかく相手陣を速く取りにいけ」と指導するところを、ど素人の父は、「そんなの、全部取ったほうがいいに決まってるじゃないか」と言うのです。
 素人だからできる自由な発想ともいえますが、怒られるほうはたまったものではありません。

数々のユニークな練習法

「父が編み出したユニークな練習法」の記述からまとめます。

  • 札を裏返しに並べて覚える
  • アイマスクをして目隠しで取る(札との距離感を体で覚えるため)
  • デスクマットを使う練習
デスクマットを使う練習・詳細
  1. 50枚を表向きに並べて位置を暗記し、その上に透明なデスクマットを敷く
  2. 敷いた透明なマットの上に古い札を裏返しに並べる
  3. 歌が詠まれたら、隠している裏返しの札を取る
「デスクマット練習」の目的と効果
  • 暗記した札の位置を動かさず最後まで集中力を保つ
  • 狙った札をピンポイントの「点」で取る(徐々に飛び飛びになるので他の札で押し出せない)

狂っている父

白眉はこちら。

腕を回して取っていたクセのため、楠木早紀さんが苦手だった「敵陣左側の札」。その克服のために編み出した、大胆な矯正練習方法からです。

自陣右側から敵陣左側に向けて、練習部屋の畳の上に油性マジックで矢印を書いたのです。

いいですね。狂っています。しかし、絶大な効果を発揮します。

 この矢印は、最短距離で札を取るラインを視覚化し、体に覚え込ませるためのもの。

 効果は絶大で、練習を続けるうちに頭のなかに最短距離のラインがビジュアルとして定着し、苦手を克服することができました。

狂っていない人のリアクションは、当然次のようになります。

 真新しい畳の上にでかでかと書かれた矢印を見て、母は大激怒していました。

いい話です。

どれも「たまたま」だろうけれど

どれも成功事例ばかりです。知られていないだけで、世の中には同じようにやって成功しなかった事例も数多くあるのでしょう。

それでも「これが正解」という感触があります。

無駄な自分語り

あとは無駄な自分語りです。

父と私

自身をふりかえってみれば、父も「才能の目利き」をしてくれていたのかもしれません。こんなことを思い出しました。

父が自動車の運転免許を取ったのは、僕が小学生のときでした。父は小学生の僕に、学科のテキストを持って「これどういうこと?」と何回も聞いてきました。しょうがないのでテキストを借りて全部読み、父に教えていました。

なので数年後に自分が自動車学校に通ったときは、最初に必要な学科を集中的に受けて1週間で全部終わらせました。ほとんど全部頭に入っていたので退屈でした。

その後も表だってやりたいことの邪魔をされた記憶はないので、今思えばありがたいことです。

私と子供

僕には子供がいません。けれども、子供と話せる才能があるらしいです。子連れの人が来る集まりで、何度もそう言われました。僕も大人よりも子供と話している方が楽しいので、いつしかその集まりでの僕の席は「子供テーブル」に定着しました。

大人が思っているよりも、子供はいろんなことをわかっています。「空気を読む」ことすらします。ただところどころ、論理が未熟かめちゃくちゃなだけです。それでも子供は基本的に素直で正直なので、こちらが嘘のない態度で接すれば、同じ態度で接してくれます。大人よりも、ずっと付き合いやすいです。

まあ、刹那だけの付き合いなので、やれるんだろうなと思っていました。毎日続くと、余裕もなくなるだろうなと。

そうして子供のいないまま老境に入りました。各種コスト面の負担ばかりが気にかかって、子どもを持つのに尻込みしていたのが正直なところです。一層の楽しさが想像できるようになったのはごく最近のことです。狂った父親になれる自信はありますが、何よりカネがない。子育ては今なお当世最高の贅沢だろうなと思っています。

自分は子育てをがんばっている人たちにとっての「隣の芝生」で、精一杯楽しいことをやります。

こちらからは以上です。

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