戦国のポエムな地名:岐阜

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こんにちは。

この記事に書くこと

この記事には、次の2つのことを書きます。

  1. 岐阜はポエムな地名
  2. 織田信長による「岐阜」への改名は、ほとんど「電話の引っ越し」のノリ

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1.岐阜はポエムな地名

「岐阜」というのはポエムな地名です。

以下、そこへ至るまでの長~い前置きとなる説明です。

岐阜の意味

「岐」「阜」の字それぞれには、次のような意味があります。

Webサイト「地名由来辞典」より

引用は、地名由来辞典>岐阜県より。

中国では「岐」が「枝状にわかれた細い道」を表す語

「阜」は「丘陵」を意味する。

『字統』より

また、白川静先生の『字統』によると、

「岐」の字は、

枝・肢のように分枝するものの意がある。字は山のわかれ道をいう。

とおおむね同様の説明でしたが、

「阜」の字については、

神梯の形。神が陟降(ちょくこう ※引用者注 のぼりおり)するときに用いる梯(はしご)である。この部に属する字は、神の陟降する聖地に関するものが多い。

としています。

岐阜は織田信長の命名

「岐阜」の名を付けたのは織田信長というのが通説のようです。

この地は古く「井口(いのくち)」と呼ばれていたが、永禄10年(1567年)、当時「井口城」や「稲葉山城」と呼ばれていた城を織田信長が陥落し、「岐阜」に改称した。
正式な改称時期は、「井口を改めて岐阜とする」とした天正3年(1575年)である。

(地名由来辞典>岐阜県

名称自体は既存

といっても、この「岐阜」という名は信長が考案したものではなく、既にそういう呼ばれ方があったようです。

しかし、『梅花無尽蔵』には「岐阜陽」、『仁岫録』には「岐陽」とあり、織田信長が改称する以前から、僧侶の間では「岐阜陽」、また略された「岐阜」や「岐陽」と呼ばれていたというのが事実のようである。

(地名由来辞典>岐阜県) ※下線は引用者

詳しくは2.で後述します。

『梅花無尽蔵』にもある「岐陽」

ただ、上で引用した記述はやや不正確です。『梅花無尽蔵』にも岐陽は使われているからです。

『仁岫録』については、残念ながらネットで参照できるサイトは見当たりませんでしたが、ありがたいことに『梅花無尽蔵』はGoogle ブックスで注釈本の大部分を参照できました。

それで確認してみたら、『梅花無尽蔵』には「岐阜陽」「岐陽」両方の用例がありました。むしろ「岐陽」の用例の方が圧倒的に多かったほどです。

「語釈索引(キ)」を見ると、「岐阜陽」に対応するのが1箇所であるのに対し、「岐陽」は合計30以上ありました。

証拠の画像をそれぞれ貼り付けておきます。

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出所:Google ブックス『梅花無尽蔵注釈 索引』(市木武雄編, 1995)

『梅花無尽蔵』での「岐陽」の用例

梅花無尽蔵注釈 1』(市木武雄編, 1993)での初出分をGoogle ブックスから引用しておきます。

「忽辭江左赴岐陽」の原文を

忽ちに江左を辭して岐陽に赴く。(四八ページ)

と書き下しています。

また、[語釈]の部では、「岐陽」を

岐は木曾川、陽は川の北を云う。木曾川の北、今の鵜沼・岐阜一帯をさす。(四九ページ)

と説明していました。

木曽川を指すのに「やま」が部首の「岐」の字を使うのか? という疑問もありますが、解明は後回し(または、うやむや)にして、ここはひとまず承っておきます。

『梅花無尽蔵』とは

説明が前後しましたが、『梅花無尽蔵』について触れておきます。

『梅花無尽蔵』とは、「室町中期の禅僧万里集九(ばんりしゆうく)の詩文集」のタイトルです。以下、kotobank:世界大百科事典 第2版の解説より引用します。

7巻。書名は著者が影響をうけた南宋の陸游(りくゆう)の詩〈要識梅花無尽蔵,人人襟袖帯香帰〉を出典とする。

作品中最後の年記は文亀2年(1502)3月で,著者みずからが整理分類して各部類ごとに年代順に配した。(略)本文と自注には作者の足跡が及んだ各地のようすを伝える記事がみえる。《五山文学新集》《続群書類従》所収。

本文は漢文で書かれています。

結論1

室町時代に「井口」と呼び習わされていた一帯には、「岐阜陽」「岐陽」といった呼び名もありました。

そちらは、当時の学識者層による、中国もろこし風の、典雅でポエムな呼び名だったわけです。

2.岐阜への改名の経緯は「電話の引っ越し」ノリ

有力な説によれば、織田信長は、旧井口の改名にあたって「ポエムな名称」3つの候補のなかから「岐阜」を選んだといいます。

となれば、信長による岐阜への改名は、ほとんど「電話の引っ越し」と同じノリです。

どちらも「似たもの候補からの三者択一」だからです。

岐阜は3択で選んだ説

岐阜の由来をネットで探していると、「織田信長の岐阜命名(補足)」というブログ記事(国家鮟鱇 2011/03/29付)に、岐阜へと改名された経緯が記されていました。その一部を引用します。

  1. 信長は沢彦に「井ノ口」は城の名が悪いので名を変えたまえと命じた
  2. 沢彦は岐山・岐陽・岐阜のうち好きなのを選んでくださいと答えた
  3. 信長は岐阜が人が発音しやすいので岐阜にすると決めた

出典として、近代デジタルライブラリー所収の『岐阜志略』が紹介されていました。そこに「安土創業録」の内容が記されているということです。

岐阜志略による「安土創業録」の内容

確認してみると『岐阜志略』は明治期(明治18年)の文献でした。この話は、「岐阜二字之事」として本文冒頭に出てきます。

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※画像は、長瀬寛二『岐阜志略』(1885)巻之上 一ページ|国立国会図書館・近代デジタルライブラリー より

該当部分をテキストにもしておきます。

岐阜は織田信長始て名付られしとぞ創業録に曰信長は井ノ口の城手に入けれは澤彦和尚へ使者を以て爰[ここ]に来り給へと宣ふ

とあって、先の引用の1.2.3.に対応するのがそれぞれこちらです。資料の画像に傍線も引いておきました。

信長澤彦に對面せられ井ノ口は城の名悪し名を易給へと

澤彦老師岐山岐陽岐阜此内御好次第にしかるべしと

信長曰諸人云よき岐阜然るべしと

時代を隔てた孫引きである分、資料としての価値は減殺しないといけませんが、それでも有力な説と考えておきます。

ほとんど電話の引っ越し

異説もあるようですけれども、仮に史実がこの逸話のとおりだとすれば、ほとんど電話の引っ越しのノリです。

電話番号が変わる場合

お申し込み手続の中で、NTT東日本側で電話番号の候補をいくつか提示し、その中からお選びいただきます

出所:NTT東日本 web116.jp > 電話のお引越し > お手続きの前に お引越しの際の注意事項「新しい電話番号について」より
※下線は引用者

自分の経験でも、新設を含めてこれまで6回「電話のお引越し」をしましたが、いずれも、3つ候補を出してくれた記憶があります。でもって、その中から覚えやすく、プッシュホンの指が動きやすいものを選びました。

結論2

くり返しになりますが、織田信長による岐阜の命名は、ほとんど「電話の引っ越し」と同じノリに思えます。

信長は、澤彦和尚が候補として出した岐山・岐陽・岐阜の3つから、「みんなが言いやすいから岐阜」と選びました。天下布武の偉人と並べ置くのもおそれ多いですけれども、僕が電話番号を選んだノリと変わりません。

こちらからは以上です。

2014-01-30_Tenkahubuja.wikipedia.org より「天下布武」

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