生産性の概念の欠如は社会の要請説

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こんにちは。

この記事に書くこと

この記事では、「生産性の概念の欠如は社会の要請」説を述べます。生産性の概念の欠如と、それによる日本社会の生産性の低さは、社会がそれを求めているからというものです。

productivity

※生産性の式

序・《「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻》なのか?

考える題材は、こちらのブログ記事です。

「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻|Chikirinの日記(2013/10/15付)

けど、ここ3年、どっぷり日本社会に浸ってみて感じるもうひとつの欠如については、「これはちょっと深刻な問題だしょう」と思ってる。

それは・・・「生産性の概念の欠如」です。

とするものです。

日本って「生産性」という概念があるのは、工場の中だけなんじゃないの? それ以外のところ、メディアにも公的部門にも、さらには民間企業のホワイトカラー(管理)部門から営業まですべてにわたり、

「この人たち、もしかして生産性っていう概念を全く持たずに働いてる?」

と思えて、びっくりさせられたことが(過去3年間の間に)何度もあった。

とし、筆者の経験から感じた、非製造業のホワイトカラー部門を中心とする生産性概念の欠如を指摘しています。

最初は「あたしが会ってる人がタマタマそうなの?」とも思ったけど、最近は(あまりに皆がそうなので)「もしかして日本って、工場(製造部門)以外には、ほんとーに、そういう概念がないのかも」と思えてきた。

「ほんとどいつもこいつも生産性が頭になさすぎ」と、ざっくり言うとそんな論調です。

同調者も

読者の多い人気ブログなのもあって、公開後しばらくは尻馬に乗って同じポイントを論うブログ記事をいくつも見かけました。

僕も、同じことを「頭の悪い働き方」と言って乗っかることもできます。

はたしてそうだろうか

けれどはたしてそうだろうか。と折々でずっと考えていました。

反論プラン

まず考えていったのは反論のプランです。

ここで「生産性の概念を備えているホワイトカラーもいる」と述べても無意味です。実際にそういう論調のブログ記事もありましたが、読んでいて賢くないなあと思いました。それも事実でしょうが、元々の「あまりに皆がそう」という事実認定がゆるく、厳密さを備えた主張ではないためです。かみ合いません。

そこで、こういうプランで反論を組み立てることにしました。

現状認識としては傾向的な事実だろうし、「深刻」という評価も正当かもしれない。しかし将来にわたって深刻かというと、そうではない。

生産性の概念の欠如は社会の要請説

反論プランに沿って述べていきます。

事例:セルフレジを導入したのにすぐやめてしまったスーパー

「欠如しているが深刻ではない」=「生産性は二の次だけどそれも正しい」と僕が思った例として、近所にあるスーパーマーケットの話をします。

食料品はほぼそこで買っていますので、僕の体はほぼそのスーパーでできていると言えます。

あるとき、そのお店にセルフレジが4台入りました。僕は自分でピッピッするのが好きなので、好んでそこで会計をしていました。

ところがある日行くと、それが全部、なくなっていました。4台ともです。

代わりに、有人のレジが1つ増えていました。

やめた理由

なんで入れたばっかりですぐにやめちゃったんだろうか、4台まとめて店員1人で面倒見られるし、使うお客がいなけりゃ違うこともできるし生産的だろうにと、店舗の方針転換を不審に思っていました。

その理由はほどなくしてわかります。お店に直接確認したわけではありませんが、たぶん合っていると思います。

少し離れたところにある、同じチェーンの別の店舗が閉店したからです。ちょうど自宅をはさんで反対側にある格好で、距離的にさほど遠くもなかったので、たまにそちらにも行っていました。

閉店した方の店舗にいたアルバイトのおねーちゃんが、セルフレジのなくなった店へ移ってきて働いていました。

生産性は犠牲になったが

この出来事を生産性というポイントで見ると、生産性を犠牲にして雇用を(ある程度)守った格好です。

経営判断として、このお店の取った方針が間違っていると僕は言えません。ここらでは、スーパーは貴重な職場だからです。

過去記事に答えが書いてあった

また別の機会に、筆者ちきりんさんご本人のツイートにより、このようなブログエントリもあるのを知りました。

インプットの最小化が、その答え|Chikirinの日記(2007/08/12付)

生産性とは、「アウトプット÷インプット」の比率です。

よって、生産性を高めるにはインプットを最小化すること、というのが主題です。

内容の一部を要約すると、こういうケースが書かれていました。

  • ブラジルの農業の生産性を上げたのは日本人移民
  • なぜなら日本は土地が狭くて、単位面積あたりの収量を増やす努力を続けてきたから
  • ブラジルは土地が豊富で、収量を増やす=使う土地を増やすという発想。生産性を気にする必要はなかった

なんだ、答え書いてあるじゃないですか。

「生産性の概念の欠如」の理由

ホワイトカラー部門の生産性の概念の欠如も、これと同じ構図です。

  • 個々人レベルで言えば、「働く時間」というリソースが豊富だから
  • 経営レベルで言えば、「働く人」というリソースが豊富だから

これにつきます。だから生産性の概念など必要ないのです。

補足

確かに「人を一人雇う」というのは相応のコストがかかります。それでも、人を使わずにすむシステムを作りあげるよりも、おうおうにして安上がりです。

小まとめ

生産性を度外視して働くというのは、見方によってはとんでもなく頭の悪い働き方ですけれども、それが社会の要請です。

今の日本の社会には、働く人もその時間も、豊富に用意されているからです。

深刻ではない方の欠如:英語

さて、「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻は、「どっぷり日本社会に浸ってみて感じる」2つの欠如を示し論じる構成になっています。

筆者のちきりんさんが述べていたもう一方の欠如とは、

長く働いていた外資系(アメリカ系)の会社を辞めてほぼ3年。ほんとーに英語を使わなくなった。

という「英語」の欠如です。

けれどもこちらの欠如は、さほど深刻にとらえていない様子です。記述もこんなトーンです。

「日本って、こんなに英語が不要な社会だったんだ」というのは、新鮮な驚きではあったけど、それはそれで「まあ、いいんじゃないの」とも思ってる。

だって今どき母語だけで暮らしていけるなんて、すごく恵まれた国だってことだもん。「英語が話せない人なんて、まともな仕事にはつけませんよ」みたいな小国と比べて、平和で呑気でいい感じ。

著書でもこう述べられていました。『未来の働き方を考えよう』(2013)p.215より。

日本人が英語ができないのは「そんなものは不要だから」です。

生産性の概念も同じでは?

生産性の概念についても、これと同じことが言えるはずです。こんな具合に。

「日本って、こんなに生産性の概念が不要な社会だったんだ」というのは、新鮮な驚きではあったけど、それはそれで「まあ、いいんじゃないの」とも思ってる。

だって今どき労働時間の評価だけで暮らしていけるなんて、すごく恵まれた国だってことだもん。「生産性が考えられない人なんて、まともな仕事にはつけませんよ」みたいな小国と比べて、平和で呑気でいい感じ。

日本人ホワイトカラーが生産性の概念がないのは「そんなものは不要だから」です。

まとめ

「英語」も、ホワイトカラー部門等での「生産性の概念」も、どちらも日本社会にとって必要がないから使っていないだけです。後者については、「働く時間」も「働く人」も豊富な現状があるからです。

日本の限られた土地でより多くの収穫を得る工夫を重ねていた日本人小作農のように、それが必要な社会となれば変わります。

その意味で、僕は労働力人口が減る社会の進行を楽しみにしています。

働いてなくて時間がたっぷりあるからたっぷり使って書いたよ。

そんじゃーね

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