線路内に助けに行ってしまう人に足りないのは「練習」

はじめに

この記事は、事故の防止および被害の軽減に寄与することを目的としており、事故の責任を問うためのものではありません。

JR横浜線踏切事故:学ぶべきものは/神奈川|カナロコ(2013年10月5日付)

で提示されていた論点について考えてみました。

 
※写真と本文は関係ありません

この記事に書かないこと

書かないこと」を示します。上のWeb記事での論点のうち、以下の各点については触れません。

  • 「踏切の存在」という構造的問題
  • そもそも、なぜ男性が線路上に倒れていたのか
  • いち一般人の死に便乗する政府の思惑

再発防止のために練習を

線路内に人がいるのを見て助けに行ってしまう人には、練習が必要です。助け出す練習ではありません。非常ボタンを押す練習です。

一人の人間を一個のシステムと見たとき、そんな人には行動ソフトウェアに不具合があると言えます。線路内にいる人を助けようと思うのは立派なことです。しかし実際に助けに行ってしまうのは、蛮勇です。

地味ですが、行動ソフトウェアを書き換えるのは、日常の積み重ねです。

ありがちな3つの誤解と真実

助けに行ってしまう人に限らず、誤解しているのではないかと思うので書きます。

誤解1:助け出せると思っている。

真実:倒れている人間は、重いです。簡単には動きません。なぜ、できると思うのか。

誤解2:電車を自然現象に近いものにとらえている。

真実:電車は人が動かしています。急には止まらないのは確かですが、止められる余地はあります。

誤解3:列車を止めると賠償を求められる。

補足:Google で「踏切 非常ボタン」検索すると、関連キーワードに「賠償」と出てきます。一部に、非常ボタンを押して列車を止めると、損害賠償請求されると誤解している人がいるようです。

真実:いたずら等の虚偽のケースは別として、非常ボタンを押して賠償を要求されることはありません(あるなら教えてください)。非常事態を知らせることをためらう必要はありません。幸いにも危険がなくなってしまった場合に、後からの「濡れ衣」を心配するなら、非常ボタンを押す前に証拠の写真を撮る習慣もつけておくといいでしょう。

個人的対策

僕自身ふだん踏切を通る機会は多くないですが、踏切を渡る場合には、非常ボタンの位置と、待たされるときには、列車が通過する速度を気にかけるようにし始めました。この速度の列車を手前で止めるならどれだけの時間と距離が必要かという観点です。

練習をして、自分がどれだけできない存在かを事前につかんでおき、万が一の場合はできることを適切にしたいものです。

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