「恋愛結婚」の罪―9月15日「あすなろラボ」林修さん授業感想(9)

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

「あすなろラボ」授業の感想シリーズ、その9です。片言隻句をあげつらって、から騒ぎします。

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この記事で言いたいこと:Executive Summary

林修さんを含め、世の相当数の人は、あたかも恋愛の延長線上に結婚があるかのようにとらえています。しかしそうとは限りません。

共通するルールや戦術が一切ない、とは言いませんが、恋愛と結婚は別のゲームです。そう心得るのが賢明です。

混乱を引き起こしている意味で、「恋愛結婚」という言葉の罪は深いです。

「ハッピー」の意味を解釈する

授業の中で林さんは、大学時代に仲間と議論していた「教科書」として、スタンダールの『恋愛論』を紹介されました。

で、その導入部分においてこのように言ってました。

林「ただちなみにですね、今から申し上げるその恋愛論をガーッとやってたの、まあそんなに人数揃わないんで、3人でやってたんですけど、3人ともみんなハッピーです。はい、今。

ここでの「ハッピー」の意味を解釈してみます。

「よき伴侶を得て、現在おおむね幸福な結婚生活を送っている」ぐらいの意味に理解しておけばよいでしょうか。

林「3組なんで、ちょっとサンプルは少ないんですけど、理論から実践に行った方では、意外と失敗はない。ということをまず申し上げといて、話をしていきたいと思いますが」

「3組」「失敗」という言葉遣いをみても、そう解釈しておいてだいたい合ってるかなという感触はします。

何が言いたいかというと、ここでの林さんは「恋愛の延長上に結婚がある」という考え方をされている。ということです。

2種類の恋愛

私見を述べると、世の中の恋愛には大きく分けて2種類あります。結婚相手探しを目的とする恋愛と、そうでない恋愛です。

世間でよく使われる言い回しを借りれば「結婚を前提」と「する」か「しない」かと言ってもいいでしょう。

どちらが正しくてどちらが間違っているといった話ではありません。

大事なのは、ともかく2種類はあるということです。

恋愛と結婚は別のゲーム

恋愛と結婚は別のゲームです。

観察してみると、ルールや戦術において両者に共通点はありそうです。しかし自分自身がまだ、両者がどの程度共通しどの程度相違するかの結論にまでは至っていない状況です。

両者の違いがどの程度かをたとえるなら

  • サッカーとフットサルぐらいか
  • 将棋とチェスぐらいか
  • ホッケーとアイスホッケーぐらいか
  • いや、いずれも不適切か

議論は分かれそうですし、自分なりの答えすらまだ持ってはいません。

ともかくここでは、恋愛と結婚は違うゲームだと心しておいた方が、処世のすべとしてはよさげです。と主張しておきます。

蛇足ながら、自分なりの結論に至っていないにもかかわらず結婚してしまったのは、わが人生の失敗のひとつであります。

「ゴールイン」問題

僕から言わせれば、その背後に実に根深い問題と、罪深い何かを感じる言い回しがあります。「ゴールイン」です。

書き言葉の日本語コーパス少納言で「ゴールイン」を検索してみますと、40例中15例(37.5%)が「付き合った相手と結婚する」という意味での用例でした。

確認する趣旨で、検索結果に出てきた用例をひとつ引用しておきます。

昨日まで頭にあったのは、平木とゴールインして会社と縁を切ることだけだった。しかしゴールが見えた今、テープの向こうに険しい…
―篠田節子『女たちのジハード』(1997)

コーパスの検索結果からすると、4割弱のシェアで「ゴールイン」はこのような意味になります。

「ゴールイン」に隠された前提

結婚を意味するのに「ゴールイン」という表現が出てくるのは、「恋愛のゴールは結婚」という前提があるからです。

「恋愛の延長線上に結婚がある」という考え方がここにも見られます。

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※お見合い結婚に使うケースなど、違った前提に基づいた「ゴールイン」の用法もありますが、ここでは省きます。

多数派ゆえの問題点

くり返しますが、結婚相手を探すための恋愛と、そうでない恋愛との両者について、どちらが正しくてどちらが間違っているということはありません。

問題は、どちらがどうという話でないにもかかわらず、「恋愛結婚」の言葉に代表される「恋愛の延長上に結婚がある」という考え方が現代の主流であり多数派であるがゆえに、そのポジションからは、恋愛と不連続である結婚が「正しくない」「おかしい」と思えてしまうことにあります。

実に根深い問題であり、罪深い話です。

林修さんも落とし穴に

そして林さんもこの陥穽にはまり込んでいると言えます。

「自信のバランス」という表現を使い、ご自身の「痛切な経験」として過去の恋愛の終わりを披露したくだりから、それがうかがえます。

林「まあある大きな家でお嬢さんで、家を継がないといけないと。で、僕との結婚はできないと。で親が決めた、自分が好きでもない人と結婚するんだ」

生徒のリアクションを受けて、林さんはこう続けました。

林「いやそんなのおかしいよと僕も言いました」

自分が好きでもない人とする結婚を「そんなのおかしいよ」と言うのは、恋愛の延長上に結婚があるととらえているからです。

しかし冷静に考えると、「そんなのおかしいよ」とは言えません。

古来結婚は「好きでもない人とする」のがスタンダード

歴史的にみれば、むしろ「相手との恋愛を経て結婚する」方が非常に特殊なことです。価値観をはっきり加えて言うならば、「奇妙なこと」と言っても過言ではありません。

というのも、古来結婚は「好きでもない人とする」のが標準だったからです。結婚制度が成立して以来、大半の時代では自分の意志で相手を選ぶという発想すらなかったと思われます。殊に女性の側は、それが顕著だったと言えましょう。

無学ゆえに庶民階層がどうだったかまでは存じ上げませんが、浅井長政に嫁いだ織田信長の妹・市にしても、その娘であり徳川秀忠に嫁いだ江にしても、自分の意志で結婚相手を選んではいないでしょう。時代を下れば、将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮のような例もあります。

とにかく言えるのは、古来、結婚は恋愛とは別のゲームだったということです。もっと正確に言えば「恋愛」というゲーム自体がなかったのです。こと日本に限ればそう断言できます。

なぜなら、日本には19世紀後半の江戸期末まで「恋愛」という言葉、ひいては概念自体が存在しなかったからです。

このあたりを詳述すると長くなりますので、別途記事を分けて書きます。

現行の法体系でも認められている

恋愛を経ての結婚が主流である現代日本においても、好きでもない人との結婚は、不法行為ではありません。現行の憲法でも認められています。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 (日本国憲法 第24条第1項)

婚姻の成立要件は、「両性の合意のみ」としています。同じく第24条の第2項です。

配偶者の選択、(略)離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

と、法体系において個人の尊厳と両性の平等は重視されますが、両項を見ても、「好き」というような互いの内心は必須の要件とされていません。

恋は盲目

林さんは法学部を卒業されているはずですが、家を継ぐために親の決めた好きでもない人と結婚するという彼女に「そんなのおかしいよ」と言ってしまったあたり、前述のような法の規定が見えなくなってしまっていたのでしょう。

なるほど「恋は盲目」とはよく言ったものです。

「強烈な覚悟」の別の解釈

授業では、当時の林さんの彼女が言った言葉が披露されていました。

「彼のことを愛することはできないと思う。でも生活はできると思う。そうしたら愛着はわくと思う」

そして林さんはこう続けていました。

林「この強烈な覚悟を見せつけられたとき、僕はこの子には及ばないなと。これが自信のバランスですよ。そこまでのものは僕にはない」

強い言葉であることは、僕も同意します。しかしこれを「強烈な覚悟」とするのは、結婚が「恋愛の延長上にある」とするポジションにいるゆえの見方です。

別の地点に立って見れば、「結婚というゲームのルールをよく心得ている」。そう映ります。

いずれにしろ、それが「自信」だったのかは別として、若き日の林さんとこの女性のバランスが合っていなかったのは確かだと言えそうです。

次回予告

次の記事では、「恋愛」を論じるなら必読の書籍を紹介します。先ほど「記事を分けます」としたあたりにも触れる予定です。

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